微妙なお年頃の日々

四十路の微妙な日々をつづるどうでもいい話

今はいない人のことを考える

長く生きているせいか、周りの人や芸能人が死んだりする。

病気や事故はどうしようもないと諦めるしかない。

自殺については、時折思い出して、どうして死んでしまったのだろうとつい考えてしまう。

私から見れば、自分よりはるかに恵まれているのにどうしてなのだろうと思ってしまう。

その人にしかわからないなにか。

私は恵まれていると思っていても、その人にとってはもっと求めるものがあるのかもしれない。

もっと生きていて欲しかったと思うが、もうどうすることもできず、定められた寿命と考えるしかできない。

私も若い頃は死にたいなと漠然と思っていたことがあったが、身近な人を亡くしたり、寿命が近づくにつれて、生への執着と死の恐怖が強くなった。

あと数十年で私が無くなると思うととてつもなく怖いし、大切な人を失うのも怖い。

だから、若くして自殺してしまったり、犯罪を犯してしまう人たちを見ると、「その命(若さ)をくれよ」と思ってしまう。

もっともっと楽しいことがあるはずなのに、無駄にするのはもったいない。

死んでしまったら何もできない。

私も私なりに日々葛藤してるし、煩悩ばかりだが、ここ数年に思うようになったことがある。

人に迷惑をかけても、「もー、しょうがないな」と思われる人になろうと。

駄目人間な考えだが、そう思ったら気が抜けませんか?

テレビでアジアの村で、家をみんなで運んで引っ越しをしてるのを見て思ったのだ。

原始的で、シンプルで、みんなで助け合うっていいよなと。

そんな人になるには日々の積み重ねが大切であるけれど。

もちろん、できるだけ許されないような迷惑はかけないようにするつもりではいる。