微妙なお年頃の日々

四十路の微妙な日々をつづるどうでもいい話

自分のことは棚に上げている

私は、ひねくれまくりの自己肯定感が低い人間だと思っていた。

…が、マッチングアプリを始めて今更気がついた。

あれ、結構自己肯定感高くない?と(ひねくれてはいる)。

しかも、身の丈以上に…。

よくテレビの婚活をテーマにした番組に出てくる、「そんなことばっかり言うから結婚できないんだよ」と言われる人…、仲間だった。

(さすがにイケメンとか、高収入とか言わないよ、話が合わなさそうだし、そもそも選ばれないし)

さすがにこの歳でこのザマ生活を送っているわけで、薄々気づいて、いや、時たま思っていた。

自分が変わらないと、変化は訪れないだろう。

でも、変わる気もさほどないので、まあこのザマなのだ。

この歳で、ぐつぐつ煮詰められた性格はもう治らないだろうし(周りの人を見ても「もう治らないだろうなあ」と思っている)。

神の啓示を受けるとか、大病でもしないと、ドリカム大好きな人にはなれまい。

注) ドリカムが好きな人は私(ひねくれ屋)と正反対な人だと思っている

嫌いとかではなく、そうなれたらこのザマにならなかっただろうと思っている(好きな曲は結構ある)。

話をマッチングアプリに戻すと、相手に対するハードルが結構高いのだ、自分の身の丈が合ってないくせに。

ちゃんとしてる人はちゃんと適齢期に結婚してるよなと最近よく思う。

もちろん独身でちゃんとしてる人もいると思うけれど、私はちゃんとしてない人である(エッヘン)。

その上、余り散らかし、老け散らかって、たいして磨いてもいない、ちゃんとしたありのままの写真も載せてないくせに(地雷)、ハードルが高いのである。

最近思うんですよ、カップルは似たレベルでできているんだなと。

類は友を呼ぶとか、割れ鍋にとじぶたとか、友人は自分の鏡とか…。

そう思いながら、自分のことは棚に上げて、自分に似た人が選べない…。

自分が嫌いだから? 好きだから?

自分に結構紗をかけて(勘違いして)いる。

もれなく私もメビウスの輪の人に入っていた。

注) メビウスの輪(現象)

マッチングアプリで、それぞれ求める方向が違っていて、交わらないことを勝手にそう呼んでいる

そうでない人を求めるなら、自分が変わらないといけないのだ。

まあ、別に無理して付き合わなくてもいいと思っている、お互いいいなと思える人がいれば…(夢幻)。

ぐだぐだと堂々めぐり。

そう、私も〇〇疲れっていう人だったのだ。

ただ見てるだけなのにマッチングアプリ疲れ。

笑えばいいよ。

おじさんたちが次から次へと現れ、自分もおばさんだって再認識するのが地味に辛い…。

いや、おじさんたちのバイタリティは見習わなくてはならないだろう。

でも、でもよ、私は美魔女でもなし、「なに、このおばさん」と思われるから、いけないよ、若い生気で若返るとしても(ヨボヨボ)。

こっちにきてる人たちは数打ちゃ当たるなのかもしれないが…。

こういう時はアプリと鏡から離れて遠くの山でも見よう。

当たるも八卦、当たらぬも八卦、気長にやろうじゃないか(逃)。

このザマを絶賛継続するよ!