微妙なお年頃の日々

四十路の微妙な日々をつづるどうでもいい話

愛きょうに弱い

この前、ドラッグストアでお店の人に母の薬の相談をした。

その人はとても愛きょうのある人で、親切に色々アドバイスしてくれた。

それなのに結局、母が薬をもらっている所で飲み合わせを聞いた方がいいとなって、そこで買わなかった。

薬コーナーから離れ、「感じのいい人だったな」と一人かみしめ、罪滅ぼしでここでいろいろ買ってくかとなった。

他人から見れば、ただのちょろいやつだろう(まあそうなのだけれど)。

でもどうせ買うなら、感じのいい所で買いたいやん、そんなに値段が変わらなければ。

またちょっと昔、大型電気店に行って「何々の修理はしてますか?」と聞いたら、「してません」の一言ですっぱり切られてしまった…。

せめて「メーカーに直接…」とか何かなぐさめて欲しい、ガラスのハートなんだからっ(知らんがな)。

それまでは感じのいい印象で、気に入っていたのが憎さ百倍である(陰湿)。

最近やっと心の整理ができて、あの店員さんが全てでないしと、たまに行っている(便利なので)。

前ほどの愛はないけれども…(根に持つ奴)。

また昔、家で車を買う時に、あちこちのディーラーを巡って3つ位で迷い、その中から一つ決めた。

すると、選ばなかった内のひとつのディーラーの担当の人が、「残念です」と家まで言いに来た。

結構恨み節も混ざっていて、その人の名前を忘れないほどちょっと罪悪感が残った。

(十数年前だけれど、今でも忘れていない…)

で、その後、もう一台買うことになった時、そこで買ったよね(ちょろい)。

この事は我が家で「何々さんののろい」と名付けられ、語り継がれている(語り継ぐなっ)。

これが愛きょうか微妙だけれども、「悪かったなあ、今度は買うよ」と思わせるもの(熱心さ?)があったのだろう。

こんな感じで、別にいかにもな愛きょうでなくても、何かしら感じの良さがある方がいいなと思う今日この頃である。

私の場合はひねくれ屋なので、愛きょうを身に付けるのは難しいけれど(放棄)、できるだけ感じ良くはありたいと思っている。